NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。
近代日本資本主義の父と言われている「渋沢栄一」の一生を描いたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が佳境に入って来た。
一昨日(9月26日 日)の大河ドラマ「渋沢篤太夫と八百万の神~明治政府編開幕」は、徳川昭武の随員としてフランスへ渡航した栄一が帰国後、帰国報告のため当時の静岡藩の宝台院に蟄居していた徳川慶喜を訪れたところから始まりました。
■ 宝台院は、二代将軍 徳川秀忠の生母 「西郷の局」の菩提寺で、当時、徳川慶喜は謹慎が解けるまでここに蟄居していたという。
■ 静岡藩(駿河・遠江 70万石)の当主は、徳川家達公であった。
■ 徳川慶喜は、その後現在の「浮月楼」に移り、20年間を狩猟・投網・囲碁・謡曲などを嗜み、恭順生活を送ったという。
静岡藩に仕官を命じられた渋沢栄一は、フランス渡航時代に得た知識をもって「商法会所」を開き、一般住民から広くお金を集め、それを元手にして物産販売を始めて静岡藩の財政に貢献し始めたという。
フランス時代や静岡藩の財政改革が認められて、時の明治政府の大蔵省勤務を命じられていよいよ東京へ。
一昨日のドラマは、栄一が明治政府の大蔵省に出向いたところで終わったが、ドラマはいよいよこれから栄一の商才発揮が佳境に入っていく。
ドラマの中では、渋沢栄一と静岡の関係はたったの30分間足らずで片づけられてしまったが、渋沢栄一は静岡には家族同伴で住んで、静岡に骨を埋めようと頑張っていたようだ。
「生活情報交換会」では、これまで静岡にゆかりの深い「徳川家康」や「今川義元」などを取り上げて歴史勉強をして来ましたが、次回以降どこかで渋沢栄一を取り上げてもらいたい。
渋沢栄一と静岡の関りは全く知らず、ドラマを見て始めて知った人も多かろう。
聖徳太子の後の一万円札の肖像画に採用された偉大な商才、渋沢栄一をもっと知りたい。
是非とも有識者の話を聞きたいものだ。