久能山東照宮のミステリーな話

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


昨日 (1月17日 金 ) は、「静岡生活情報交換会 1月例会」 に出席しました。


環境をテーマにした活動範囲は広いので、努めていろいろな話や会合に出るようにしています。


本会は、最初は、某企業のOBがボケ防止のため、良い話を聞こう、と集まったのがきっかけですが、今やいろいろな方々が入会されて、昨日の出席者は50名弱の盛況ぶりでした。


毎回、幹事団の頑張りで良い話が聞けるのですが、昨日の題材は、「久能山東照宮のいろいろ」 と題して、静岡市観光ボランティア 駿府ウエイブの、原田一史さんの講演でした。


これまで知らなかった事も今日はかなり聞くことができました。


◆ 久能寺の生い立ち  約1400年前、推古天皇の御代 (593〜628年) 秦氏の 「久能忠仁」 が山頂に観音菩薩を安置し、「補陀落山久能寺」 と称したとのこと。


◆ 久能城の生い立ち  永禄11年(1568年)、駿河に侵攻した 「武田信玄」 が、山頂に城を築いたとのこと。天正10年 (1582年)、武田を滅ぼし駿河の国を手に入れた「徳川家康」 も久能城を重視し、徳川の城とした。


◆ 久能山東照宮  元和2年 (1616年) 4月17日 家康公薨去、家康公の遺言により、その日のうちに久能山へ移送された由。 翌元和3年 (1617年) 朝廷から「東照大権現」 の神号を賜り、正一位も御追贈の宣下もあり、この年の12月には、本社殿も完成し、正遷宮も挙行されたとの事である。


なぜこんなに急いだのか?定かではないが、神はそもそも遺体はあってはならないもので、極く少ない側近で密葬されたのは、このあたりに理由があったのではないかと推察されるとの事である。

 
一年後に、日光東照宮に改葬されたという。


皇室以外で、神宮を賜ったのは、菅原道真天満宮)と、徳川家康東照宮) の二人のみだそうである。


神の遺体は無いものだそうであるが、徳川家康の御体は、久能山にあるのか、日光にあるのかは定かではないとのこと。 


西の外様大名 (豊臣恩顧) に睨みを利かせ、久能山より冨士山、その真っ直ぐ延長にある日光までを眺めて、徳川の安泰を期す、久能山は、絶好の位置にあり、家康の遺体は久能山にあるのではないか、と原田さんは言う。


ミステリーな話でした。


原田さん、ありがとうございました。


島田市でも、観光ボランティアの方々が活躍されていますが、良く勉強しており本当にご苦労様と言いたい。


ご健勝とご活躍を祈念したい。