昨日は駿府(静岡市)にブラタモリがやってきた。

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

昨日(12月3日 土 pm)は、毎週土曜日の午後7時30分 NHKテレビブラタモリが静岡にやって来ました。

 

タモリ静岡市に降り立ったところから放送は始まりましたが、開口一番発せられた言葉は、静岡市には降りたことはない」「静岡市に行ってみたいと思ったことはない」との衝撃的な言葉でした。

 

後から思うと番組の組立上、イントロはそれくらい特長のない都市を演出し、番組を進めて行くうちに実はそうではなかったということを強調したいがための演出であった。

 

江戸時代は国ごとに国府=その国を司る今でいう県庁のようなもの」が置かれたが、駿府というのは駿河の国の国府であったとガイドが説明しても、ここでもタモリ国府と言われてもピンと来ない」と知らない振りを演出しました。

 

ガイドと一緒に駿府公園に向けて歩きながら、家康は幼少時代(今川家の人質)・豊臣秀吉の時代・晩年の時代と3度、通算25年もの長い期間駿府に関わり、家康の気持ちは駿府(静岡)は愛せるまち、故郷ではなかったかと説明を受けました。

 

タモリはガイドに案内されて、駿府公園内の天守閣のあった場所の発掘の様子、天守閣の石垣が非常に高いこと、安倍川・賤機山・駿府城の位置関係と地形から、水害や敵からの攻撃に際し駿府城の置かれた位置が如何に理想的であったかを見て回りました。

 

そして駿府城の周りには、武家屋敷寺町町人街を配して賑わいのまちづくりを進めると共に、西(大阪を中心とした豊臣の残党や大名)の守りにも気を配り、且つ「金座・銀座」など、今でいう造幣局駿府に作り、江戸と駿府の二元政治を作り上げた。

 

家康の時代から約200年後、江戸時代最後の将軍徳川慶喜駿府を選んで、今は料亭「浮月楼」に変わっているが、そこで余生を送ったことも説明を受けた。

 

筆者は、生活情報交換会(第二の人生を有意義に過ごそうとアイセル21を拠点に立ち上げた会)や、静岡市の歴史地理学研究家 望月 茂先生が立ち上げた「静岡歴史民俗研究会」で、大御所家康は、なぜ駿府を選んだか?を勉強していましたので、今回のブラタモリは非常に新鮮でした。

最後に静岡駅前の呉服町の商店街ビル(4階建て4階は防火壁のみの構造)を見て回り、駿府は家康の時代から火事が多く、今でも家康の防災意識が生きていることを説明を受けました。

 

タモリの最後の言葉、「何も特徴のないまちと思っていたが失礼しました」、そして「非常に面白いまちだ」と改めて評価の言葉が印象的でした。

 

次回の予告編として、茶畑や大井川鉄道が写ったので来週のブラタモリは、筆者の故郷島田市川根本町方面」のようだ。

 

来週のブラタモリ見逃せない!