広報しまだ「市政羅針盤」を読んで感じたこと

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

去る5月15日(月)に「広報しまだ 5月号」が発行され、島田市のホームページを開いて読みました。

 

今月号の「市政羅針盤は、島田市の金谷地区にある諏訪原城址」の歴史とイベントの紹介でした。

 

市政羅針盤は、最近の市政の中で今、最も市民に理解願いたい懸案事項を選択して、染谷市長自らが執筆しているもので、今月は徳川家康武田信玄の息子の勝頼が戦いを繰り広げた諏訪原城を取り上げて、城の歴史やイベント開催予定などを伝えています。

 

記事は、「皆さん、日本でも有数の山城が、島田市の金谷にあることを御存じでしょうかと問いかけから始まっています。

 

武田信玄の息子、勝頼と徳川家康の国取りの舞台となった諏訪原城天正元年(1573年)、武田勝頼によって築城され、城内には「諏訪原大明神」が祀られ、今年は450年の節目で、3つのイベントを予定しているとのこと。

 

 ① 博物館での諏訪原城の歴史企画展 ➁ 春風亭昇太隊長率いる「諏訪原城応援隊」合戦イベント ③ 戦国時代の歴史に詳しい小和田哲男氏の記念講演

 

筆者は、諏訪原城跡は何回も訪れていますが、表面は平野、東面は断崖絶壁、北面は大井川が流れており、防護に非常に優れている要塞です。

 

島田市は厳しい財政の中ですが良く手入れし、訪問する度に整備の後が窺われます。

 

さて、今年のNHKテレビ 大河ドラマ徳川家康が取り上げられ、題名「どうする家康」が物語っているように、これまで一般的に伝えられている強い家康像と違って、ドラマでは弱い家康像や悩める家康像を前面に打ち出しています。

 

戦乱の世を平定し、徳川300年の礎を築いた偉大な成功者家康にもこんな一面もあったのだ、と認識を改めた人も多いだろう。

 

そんな訳で、4月初旬の静岡まつり「大御所花見行列」や5月初旬の「浜松凧あげまつり」には、想像以上の観光客が押し寄せ、非常に盛況であった様子が報じられました。

 

近年、静岡県徳川家康との関りが深い県として、静岡市駿府城公園の天守閣の発掘や博物館を建設しての展示、浜松市浜松城の整備を、島田市諏訪原城址の整備等々に力を入れ、有識者による講演会も頻繁に開かれています。

 

筆者は、この一年だけでも何回かの徳川家康関連の講演を聴いて知識を深めています。

 

■ 生活情報交換会主催 講師:久能山東照宮宮司落合偉洲さんの講演徳川家康久能山東照宮

■ 静岡民族歴史研究会主催 講師:歴史地理学研究者 望月 茂氏「大御所家康はなぜ駿府を選んだのか」の47~49回を連続3回聴講し、まだこの後も開催が予定されています。

 

とにかく家康という人物は、幼少時代からの人質生活が影響し、非常に粘り強く慎重で派手さはなく、西(豊臣)からの攻撃に万全の注意を払って、江戸を守り抜くことに最大注力したようで、駿府城(静岡)は、その守りの要塞であったという。

 

今年度のNHKテレビ大河ドラマ「どうする家康」で、家康のイメージが大きく変わったことは確かであるが、家康が家来の話を良く聞く、優柔不断の家康、家康と言えども人の子、そんな家康を画面で見て、親しみが加わったのではないか。

 

今日は、広報しまだの「市政羅針盤」を読んで、家康のイメージ像の変化について筆者の感じたことを綴って見ました。