「第49回 静岡歴史民族研究会」に参加

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

今日(4月29日 土 pm)は、静岡歴史民俗研究会主催「第49回 駿府・家康シリーズNO.Ⅲ」に参加しました。

 

筆者は二回前の47回から出席していますが、会場の静岡市アイセル21 4階の第四会議室は超満員の90名の参加者でした。

 

これだけ盛況なのは、大河ドラマ「どうする家康」や、駿府城公園の発掘が進んでいることが好影響をもたらしているのでしょうか。

 

 ■ 第47回駿府と家康の今昔・未来」講師:丸子の語り部 小豆川 整氏

       「大御所家康、なぜ駿府を選んだのか?」講師:望月 茂氏

 ■ 第48回「どうだった?竹千代~今川氏従属下の松平元康~」講師:堀 曉氏

       「大御所家康、なぜ駿府を選んだのか?(Ⅱ)」講師:望月 茂氏

 

過去の二回は、余り知られていない家康の幼少時代を、数少ない史料から推定したり、家康がなぜ駿府を選んだか、史料と足で稼いだ実証検分を元にしているので非常に説得力がありました。

 

今日は、家康の食に焦点を当てたテーマ東海道と家康の食文化~健康長寿と駿府の食文化をたどる~」で、これまで家康関連の話では聞いたことのないテーマであり非常に新鮮で興味深く聞きました。

 

講師の小泉恭子さんは、史実や残っている史料を元に家康が好んで食べた食品普及を促進した産物を一つひとつ上げて話始めました。

 

家康は、信長や秀吉と比べて公家文化とは少し距離を置き、宴の華やかさとか、贅沢さとかよりも鷹狩りなどを好んだという。

 

また戦国時代の食事は、1日2食、1汁1菜、プラスおかずが普通であったが、家康も麦飯(大麦か、白米に麦飯を混ぜたご飯)を食べており粗食であったという。

 

好んで食べ、普及させた食品は、「お茶」・「みかん」・「ワサビ」・「レンコン」・「茄子」・「鯛」など。

 

また家康は薬草や漢方薬には非常に詳しく、中国から医薬品の書(和剤局方)を取り寄せて自分で調合したりもしていたという。

 

家康は、健康には非常に気を使い3つ(食・知・体力)を大切にしていたことを強調して話を締めました。

 

第二部は、「大御所家康、なぜ駿府を選んだか?(パートⅢ)」今回はその三回目で題目は「~四神相応の駿府を生かした家康~」でした。

 

家康が駿府を選んだ理由は、一般論では①風光明媚(富士山が見える)②お米が美味しい ③水害が少ない ④自然の要塞、幼少時代に過ごした駿府が気に入っていたことだと思う。

 

また、①空気が美味しい ②水が豊富 ③山がある ④邪魔がないなどの思いも強い。

 

慶長12年(1607年)、大御所家康は江戸から駿府に移封して城と城下町づくりを始めたが、駿府を選んだ理由に「四神相応」の風水思想を意識して生かしたのではないだろうか?という仮説を、講師の望月 茂氏は立てたという。

 

 ■ 安倍川の水を生かす・・・・朱雀(南)

 ■ 巴川から清水港へ・・・・青龍(東)

 ■ 竜瓜山から浅間神社・・・・玄武(北)

 ■ 東海道駿府城・町づくり・・・白虎(西)

 

これを検証するために、文献史料や伝承・伝説も踏まえ、駿府城・城下町周辺を中心にしながら「四神=駿府の地」を歩き(取材調査)、歴史地理学的な手法を元に探ってみようと考えたという。

 

今日の講師の説明は、実際に山・川・池・土手・用水等々を歩いて検証しただけに、一つひとつに説得力があり非常に興味深いものでした。

 

家康が駿府を選んだ訳、選んだ後のインフラ整備と町づくり、それは西側防衛(豊臣の残党)への備えと、江戸の前衛的砦駿府」の確立にあったことは明白である。

 

大御所家康はなぜ駿府を選んだのか?今日はその理由を結論づけて、三回シリーズを終了しましたが、足で稼いだ調査が基本であったので非常に有意義でした。

 

次回50回記念会への期待と、本研究会の益々の発展を祈念したい。