「琵琶湖疎水と比叡山里坊を歩く旅」

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

11月23日(水)~24日(木)、京都の喧騒を避けて、一泊2日の「琵琶湖疎水と比叡山の里坊を歩く旅」に恵まれました。

 

初日は、観光ボランティアガイドさんに予約を入れて、京都市山科駅で待ち合わせし、先ずは毘沙門堂を訪れました。

 

途中、忠臣蔵で有名な浅野家ゆかりの史跡に立ち寄りましたが、大石内蔵助が敵討ちの前に京都山科の山中でひっそりと暮らしたこととも関係しているのかな。

 

さて毘沙門堂は、大宝三年(703)、文武天皇の勅願により開かれたお寺で、七福神の一人でもあり、四天王の多聞天としても知られる毘沙門天は、今も多くの人々から「毘沙門さん」と言われて篤い信仰を受けています。

 

境内の「高台弁才天「勅使門」紅葉(もみじ)は実に見事でした。

 

次いで、琵琶湖疎水の川辺にある吉祥山「安祥寺」へ、安永二年(1773年)に建立、本尊は弘法大師だという。

 

そこから琵琶湖疎水の側道を下り、途中天智天皇陵」に立ち寄り、地下鉄東西線の「御陵駅(みささぎえき)」まで歩き一日目を終了しました。

 

大津から京都を結ぶ「琵琶湖疎水」は、東京遷都によって元気を失っていた京都を蘇らせ、人々の暮らしを一変させました。

 

用水路の中を、たっぷりの水が、人が速足で歩くよりも速く流れ、「疎水船がひっきりなしに登り下りしていました。

 

良くもこんな大掛かりな大工事を、明治の初期にやれたものだと感心する。

 

疎水の側道にはもみじや桜の木が植えられ、春も秋も楽しむことができ、一日目は紅葉を満喫しました。

 

二日目は、JR湖西線比叡山坂本駅」からスタート、重い荷物は駅のロッカーに入れ身軽になって、ガイド無しでスマホを片手に、先ずは天台真盛宗総本山西教寺を訪れました。

 

西教寺は、聖徳太子がその恩師高句麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後文明3年(1486年)に真盛上人が入寺し、堂塔と教法を再興し、不断念仏の道場とし、全国に末寺を有する総本山になりました。

 

本堂や客殿の構えは見事で、小堀遠州作の客殿庭園の紅葉は素晴らしい眺めでした。

 

境内には、明智光秀と内室の煕子(ひろこ)の墓所が祀られていました。

 

次いで「山野辺の道」を歩きながら、途中の「千体地蔵」を経由して、比叡山の麓に鎮座する日吉大社訪れました。

 

日吉大社は、およそ2100年前の祟神天皇7年に創祀され、全国3800余の分霊社の総本宮だという。

 

境内には、魔除けの象徴として神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られ、「魔が去る、何よりも勝る」にちなんで大切にされているという。

 

ここも紅葉が見事でした。

 

次いで「旧竹林院」の見事な庭園と紅葉や、「滋賀院門跡と慈眼堂」の客殿や庭園を見学して「比叡山坂本駅」に戻りました。

 

坂本の町は、道々に「穴太積みの石垣」がそこら中に見られ、素晴らしい景色を作っていました。

 

二日間で約30,000歩の徒歩の旅でしたが、京都の有名寺院の紅葉も良いですが、琵琶湖疎水と比叡山の里坊も決して引けはとらない紅葉の見事さでした。

 

今回の旅は、ツワーに頼らないで自分で企画した旅でしたが、スマホがあれば全く困りません。

 

高齢者でもできる、新しい旅を覚えました。