「静岡 生活情報交換会」 朝鮮通信使の話

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


一昨日 (4月17日 金 昼) は、「静岡 生活情報交換会」 に参加しました。


生活情報交換会は、最初は、某企業のリターヤー組が、ボケ防止のために、「良い話を聞こう」 と集まった会ですが、それからもう50数回の講演会をこなしてきました。


今や、会員も50名を超え、異業種の集まりに変身しました。


気の合う仲間も増え、例会 (講演会) のみならず、時には、小旅行・懇談会・演奏会・飲み会にまで発展しています。


毎回、良い講師と良い話に恵まれています。


環境活動だけでは、視野が狭くなりますので、努めて参加しています。


一昨日は、朝鮮通信使 「秀吉の朝鮮出兵と家康の平和外交」 と題して、歴史研究会の 望月 茂 氏の講演でした。


折しも、昨日は、徳川家康 没後 400年祭 家康が逝去した日でした。


朝鮮通信使については、ある程度の知識はありましたが、話を聞いて改めて認識を深めました。


 ◆ 秀吉の朝鮮出兵で、朝鮮半島に、日本の城 (倭城) を30基ほど築き、今でも一部が残っているとのこと。

 ◆ 戦いとは言え、朝鮮半島での殺戮はひどい状態だったようだ。

 ◆ 陶工など多くの朝鮮人が日本へ強制連行され、その数は多くに及んだという。

 ◆ 家康は、朝鮮出兵に反対し、秀吉が死んでから、朝鮮王朝と交渉し、「回答兼還使」 を招き、その後、「朝鮮通信使」 を迎えたという。

 ◆ 朝鮮通信使は、徳川家の当主が変わる都度12回に及び対馬壱岐・下関・大阪・京都・駿府・江戸など通りみちには、多くの史跡や物語が残っているという。

 ◆ 江戸時代の後期あたりから、少しづつ征韓論が出始め、通信使の歴史は閉じられたという。


秀吉の出兵は一体何だったのか。 家康の平和外交の真の狙いはどこにあったのか。


まだまだ疑問は解けない。


とにかく、今まで知らなかった話をたくさん聞きました。