平等と公平

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


しまだ環境ひろばから、「島田市ゆめ・みらい百人会議」 に、個人レベルではあるが2名の会員が参加しています。


百人会議は、7つの分科会に分かれて、それぞれのテーマで検討しています。


7つの分科会から、それぞれリーダを出して、「リーダ会」 を構成し、分科会に共通する案件を処理しているようです。


リーダの都合で、2回ほど代理出席をしていますが、分科会毎の思惑や事情があって、各議題ともなかなか調整が付かないようだ。


また各リーダの方々も大変個性のある方々が集まっているようです。


従って、殆どの案件が、分科会にお任せ、一任が多い。


また、殆どが、7等分 (7つの分科会に平等に割る) 方式で物事が決まっていく。


全体最適を追及するとか、融通し合って全体のレベルを上げて行くような決め方は殆どない。


ビジネスの世界では考えられない。


9月5日には、今回百人会議の集大成とも言うべき、「提案発表会」 が開催されますが、どこか一つでも二つでも良いから、「流石は百人会議にエントリーした人たちの発表だった」 と市民から絶賛される分科会が出てくれないものか。


と思うのは私だけだろうか。


一部のリーダからそういう意見が出るが、会の潮流には全くならない。


本来、リーダ会で、分科会毎の内容や、進み具合を紹介し合って、最適な発表時間の割り振りや、順番を決め、全体最適を求めるべきだが、そんな雰囲気は全くない。


市民活動レベルになると、なぜこんなに低レベルになってしまうのだろうか。


そういえば、同じテーマで活動している市民団体が、自ら横の連絡を取り合って、連携することは殆どない。


市が介在して、連帯組織を作ってもうまくいった試しがない。 協働の訓練が全く出来ていないのである。


本来、何でも平等は、レベルアップのない世界の配分方式なのである。


本来、平等と公平は違うのである。


そういう中で、少数意見でも、良い提案は、何とかして活かす高い見識を持ちたいものだ。