「若者」の社会参加は、大人の責任

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


日頃 (特に日中) の市民活動は、高齢者ばかりである。


若者は勉強したり、働いているのだから当然で、自分も若い時は市民活動などは全く関心もなく考えたこともなかった。


しかし今になって考えて見ると、やっぱり市民活動が高齢者に偏っているのはまずい。


選挙における投票率の面から見ても、若者の投票率は低く、政治に対する若者の参加や、意見の反映は多くない。


市民活動への参加と言い、選挙権の行使と言い、若者の参加が少ないのは、世の中の仕組みに弊害があると思う。


去る9月19日 (月) の日経新聞朝刊 21頁 「日・中・韓の若者の幸せは?」 の記事が載りました。


今どきの若者にとっての幸福とは何だろうか。


日本、中国、韓国から各6人の大学生が静岡に集まり 「幸福への期待」 をテーマに話し合ったと言う。


討論の内容は、市民活動への参加や、選挙権の行使とは直接関係はないが、多かれ少なかれ若者が過大な閉塞感を味わっており、そこに余裕のなさを強く感じます。


また、大人たちも、そこに手をさしのべる余裕もない。


  ◆ 韓国の大学生は、勉強に追われ、目指す大企業の門は極めて狭く、また運よく入社できても社内競争が待っている。


  ◆ 中国は、経済成長により豊かさを手に入れたが、格差拡大の問題が発生


  ◆ 日本は、物質的な豊かさの反面、人間関係の希薄さ、雇用や社会保障などの将来不安などから、程々の穏やかな生活を志向する風潮がでてきた。


今、高齢者になって、「若者」 の社会参加の希薄さを嘆く前に、「若者」 が、仕事や勉強に追われるばかりではなく、少し余裕を持って社会参加できる仕組みを作ってやるのは、大人 (高齢者を含めて) の責任ではないのだろうか。


しまだ環境ひろばも、すっかり高齢化し、「若者」 に継承して行きたいが、まだその兆しも見えない。