「満州からの引き上げ」の話を聞いて

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


今日 (1月20日 金 AM) は、「静岡 生活情報交換会 1月例会」 に参加しました。


いつも、環境保全ばかりの取組みですと、偏りますので、努めていろいろな話を聞ける場に参加しています。


「静岡 生活情報交換会」 は、始めは、某会社の退職組が、ボケないで良い話を月に一回くらい聞こうと集まった会ですが、幹事団の頑張りで、もう80回を超える実績を持ち、会員も数十人を超える団体に発展してきました。


今日も、50人規模の出席者でした。


今日のテーマは、「日本と中国の間にて 満州からの引き上げについて」 、静岡女性史研究会 会長 大塚氏のお話と、実際にそれを現地で経験された、Hさん、Sさんのお話でした。


Hさんは、病気でふせていて、今日は奥様の代理出席でした。


奥様は現地でHさんと結婚された中国人で、一緒に日本に来たというが、引き上げ当時は苦労されてようですが、今は、中国語教室などをやり暮らしているという。


さて、満州からの引揚者は、630万人、内、310万人は、軍人・軍属で、320万人は、民間人であったようだ。


今日のお話では、引き上げは、軍人・軍属が優遇されて、民間人は悲惨であったとのこと。


国策で、満州国に入植された人は、最初は土地を与えられてまずまずの生活になったようだが、敗戦と同時に生活は逆転し、その日の食料にも困る境遇に陥ったとのこと。


そんな中で、Hさん (今日は奥さんが出席) は、中国の養父母に育てられたが、日本に引き上げてから、苦労が始まったようだ。


また、Sさんは、終戦の年に、何の情報もなく、父母姉妹と満州に渡り、入植後数日で分配された土地を追われて以降、5年間にわたり苦悩の生活を余儀なくされ、母親ともはぐれて、やっとで日本に辿り着いたという。


本当に、大塚会長さんの話と言い、お二人の引揚者の話は、身をつつまされる話で、その当時のことを知らなかった一日本人として本当にすまなかったかったと、心から思う次第です。


Hさんの奥様の話では、残留孤児のHさんは、中国人の養父母に育てられて、まずまずの暮らしをしたようだ。


これまで、多くの日本の残留孤児たちを育ててきた中国人の養父母を悪く言う話をあまり聞いたことはありません。


どんな国でも、人でも、子供たちを理不尽に扱う親たちはそうありません。


中国人のどの養父母も、日本残留孤児を自分の子どものように育ててくれたようだ。


今、韓国の慰安婦が問題になっていますが、この問題も、両国が本当に心を合せれば、こんなに拗れることはないと思う。


国は違っても、人の命や、敬い、尊ぶ気持ちは誰も変わらないと思う。


今日のような、現実の話を踏まえて、それでも人は前を向いて歩いて行かねば道は開けないことを思い知りたいものです。


今日は、良い話を聞きました。