今回の講義は、「古代の地形と登呂遺跡」でした。

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


今日 (8月18日 金 AM) は、「静岡 生活情報交換会 8月例会」 に参加しました。


月一回開催している生活情報交換会の講演は、しまだ環境ひろばが目指す、望ましい環境像づくりや、にぎわいのまちづくりに大変役に立っていますので努めて参加しています。


今日のテーマは、「古代の地形と登呂遺跡」 と題して、考古学を専門とする、浅野 毅 先生でした。


浅野先生は、これまでいくつかの遺跡の発掘に携わると共に、それを見せる博物館の管理にも携わってきたという。


そういう経験をお持ちの先生ゆえに、博物館の陳列ガラスの汚れ具合 (手や鼻をこすった痕など) を見て、来場者が何に興味を示したか、如何に細かく観察しようとしたか、を判断し今後の陳列の仕方に活かしたという。


また、陳列ガラスの汚れは、来場者の満足度が伝わって来るようで、汚れが多いほど喜びが沸いたと言う。


ガラスは、ただ拭けば良いと言う事ではないことを、学生たちに説いたという。


現在は、登呂遺跡の観光ボランティアも努めています。


さて、”遺跡のある場所と地形は、必然性があるとのことで、先ず今日の講義は、古代の静岡の地形から話が始まりました。


 ■ その昔は、竜爪山と大崩れ海岸は火山系でつながっており、大崩れ海岸が崩れやすいのはそのためであること。


 ■ 有度山は、ドーム状に隆起してできた話。


 ■ 三保や清水港は、深く大型船が往来できたので、金持ちの豪族を生んだ話。


 ■ 清見寺・ 薩埵峠(さった峠) は、山と海岸が直に接していた地形だった。


 ■ 静岡市は、安倍川が作った扇状地であり、谷津山の南側平野は、自噴帯で今でもその名残りがある。

 ■ 登呂遺跡もその一つであり、農耕に適していた。


 ■ 駿府城は、扇状地(平野)の一番小高い丘にあり、昔の人は良く歩き回り、高低差を熟知していた。


さて、登呂遺跡の発掘は、昭和18年の軍需工場建設時に発見され、発掘はその年の8月 (第一次) に始まり、昭和25年 (第五次) まで続いたという。


その間、「礎板」 「柱」 「「高床建物」 「直径1mの杉の木」 「農機具」 「土器」 などなど貴重な物が次々と発掘された。


その後も発掘調査は、第24次に及び、その間環境整備工事も何回も行われ今日に姿になっているという。


今日の講義を聞いて、もう一度ゆっくり、登呂遺跡を見たい気持ちに駆られました。


去る6月より、9月3日まで、「登呂発掘と静岡市の近現代」 と題して、企画展を開催しているとのこと。


是非行ってみよう。