「知って見て静岡市のごみについて」Part6

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

静岡市の「ごみの出前講座」を聴いて、家庭ごみの減量策について論じています。

 

家庭から出るごみは、多くの場合、くらしの中で染みついた習慣(クセ)や誤った知識が「ごみ」にしています。

 

従って「良い習慣(クセ)」「正しい知識」に置き直すために「国民(市民)運動」の展開を提案しています。

 

なぜごみになるのか、それはごみの種類毎に違うので、市民運動ごみの種類毎、具体的でなければなりません。

 

今日は「紙類のごみの削減 第3弾」を論じてみましょう。

 

「分別すれば資源となる紙」と「ごみにしかならない紙」の見分け方が必要です。

 

自治体では、「資源となる紙(雑紙)はどんな紙か」を、雑紙専用排出袋を作って表面に貼り付けたり、ガイドブックを作って配布したり、広報などに漫画入りで掲載して懸命にPRしています。

 

これらの資料を見れば誰でも判断でき、トイレットペーパーの芯までもが分別すれば資源であることを、学校教育で、集会で、排出現場等あらゆる場を使って徹底的な指導を繰返すしかない。

 

今現在、「燃えるごみ袋」には、分別すれば資源となる膨大な「雑紙」が混入しています。

 

こういう自治体の市民の環境意識はどうなっているのだろうか。

 

一日一人当たりごみの排出量が600g台の優秀都市の市民と、800g以上の都市の市民とは、この辺りの環境改善意欲が全く違うのである。

 

どうしたら600g台に持って行けるのか、それは優秀な自治体には必ず名物課長がいること(バカみたいに頑張る職員)、また自治会の「ごみの排出監視員」が、排出現場で市民を徹底的に指導していることだ。

 

筆者は、これらの行動も含めて「国民(市民)運動化」と言っていますが、市民がこれらを理解し、普通の習慣になるまで続けるしかないと思っています。今日はここまで。

 

明日は紙類のごみの中でも最もやっかいな「おむつの再生」について論じてみます。