島田大祭が終わって

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。


日本三奇祭 第108回 島田大祭は、初日 (10月8日) の午前こそ雨に見舞われましたが、何とか持ちこたえ、最終日のクライマックス 「本陣入り」 も無事すまし、3日間の行事を全て終えたようです。


東海道の宿場町として栄えた島田市は、その昔、島田に嫁いできた花嫁は、晴れ姿で大井神社へお参りし、その姿で町を歩き披露するのが習わしであったという。


その後、花嫁を気遣う心から、花嫁の帯を大奴が木太刀に飾り、安産祈願とあわせて人々へ披露するようになったという。


親たちは、嫁入り道具の帯に気を配り、逸品を見ようと商人が集まり、さながら帯のファッションショーとなったのが帯祭りの始まりだという。


島田市には、帯祭りの他に、蓬莱橋 (大井川に架かる世界一長い木造の賃取り橋) ・ 川越遺跡や蓮台越し ・ 島田髷まつり (文金高島田) など、名所旧跡お祭りも多い。


昨今では、大井川鉄道の、蒸気機関車 (トーマス号) も子供たちを中心に人気が高い。


都会から観光客を呼び込むための素材はかなりある。


問題は街中の寂しさである。


普段は、メインストリートでも、人を探すのにも苦労するくらい閑散としています。


朝の通勤時間を過ぎたら、昼間の人口は半減します。


島田市も完全に人口減少時代に入りました。


今から5年後の平成34年の人口は、9.3万人だそうである。 (現在 10.2万人)


駅を中心として嘗て賑わった街も、区画整理で整然となったが、余りにも整理しすぎて完全に活気を失ってしまいました。


今さらハードを直すことはできないので、ソフトで賑わいを取り戻すしかなさそうだ。


軽トラ市とか、空き店舗の活用とか、いろいろとアイディアは出ているようですが、地域を限定して思い切った手を打つ必要があるのではないか。


朝、電車で通勤していく市民が、”早く島田に帰って楽しみたい” と、思うくらいの魅力のある街をつくらないと賑わいの街は取り戻せない。


人口が減っても、町の活気を維持していくためには、賑わいのまちづくりと並行して、市民の自助・自立、共助の体制を早くつくることだと思う。


公助に慣れ切った市民を、自助・自立させるには時間がかかる。


辛いことを言う為政者と勇気ある市民がいないとできない。