コロナ禍の「しきり」という記事

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

現役時代の途中から新聞は必ず表1面から読むことに決めてクセにもなっていましたが、最近は裏から読むことを覚えました。

 

別な楽しみがあります。

 

現役時代は、多忙なこともあって一面から読まないと大事な経済ニュースを見落とす危険性があり、そのクセが抜けきらず最近まで一面から読んでいました。

 

しかし新聞を最初から最後まで読む時間ができて、昨今は裏一面からも読むようになっています。

 

その効果もあって、今日は日経新聞朝刊 裏一面文化欄に掲載された「コロナ禍のしきりという、武蔵野美術大学教授 柏木 博さんの記事を興味深く読みました。

 

非常に有意義な記事を読み飛ばさなくて良かった。

 

 ■ 記事は、わたしたちは、無数の「しきり」を生活の中に作っている。から始まっています。

 

  ※ しきり(仕切り)とは、国語辞典を引くと、しきること。しきったもの。くぎりをつける。とある。

 

 ■ 日本の伝統的なしきりの障子、あるいは屏風は、欧米の強固な壁やドアとは異なって、互いの気配を感ずることができる柔らかいものであった。

 ■ 20世紀末には、ベルリンの壁が崩壊したが、メキシコとの間に壁をつくるとういう大統領が出現し、この30年余は壁の崩壊と再構築の時代だった。

 ■ 新型コロナウイルスにより、マスクやプラスチック製のゴーグルや都市のロックダウンさまざまな「しきり」が出現し、単なる感染予防や道具に止まらず、感情や感覚そして新たな文化を引き起こしているという。

 ■ コロナ禍の現在、自宅でのリモートによる仕事に違和感がなくなって来た。空間を共有することなくモニターによる「しきり」を受け入れたが、情報格差という新たな「しきり」が生まれている。

 

記事は、いま社会的な「しきり」が知らぬ間に強固にされつつあるが、それに抵抗し、寛容、非分断、非差別など半開きした障子のような柔らかな「しきり」を再現すべきだ。そうした優しい「しきり」意識の回復には多大な努力が必要であると記事は結んでいます。

 

「しきり」は無くて済むなら、ない方が良い。

 

私たち日本人も、生活の中に種々の「しきり」をつくってきましたが、それをより強くしたり高くしたりするのではなく、柔らかな「しきり」で済むようにみんなで努力する環境を作って行きたいものです。

 

今日は良い記事を読みました。