盲目のアスリート、稲葉氏の生涯をかけた挑戦!
NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。
今日(12月17日 金 am)は、「生活情報交換会 12月例会」に参加しました。
※ 生活情報交換会は、某企業を退職した高齢者が、会員同士の情報交換や有識者の有益な話を聞こうと集まった会で、今日で134回目、会員は数十人となり、今日は32名の出席でした。
今日は、「目標が達成できても、できなくてもまた次の目標に向かって進む」と題して、盲目のアスリート 稲葉 統也(いなば もとのり)さんの講演でした。
<稲葉さんのプロフィール>
◆ 現在55歳
◆ 30歳の頃、突然に目の病魔に襲われ視覚障がい者となる。
◆ 1999年1月 アジア柔道選手権大会(バンコック)3位(銅メダル)
◆ 2000年9月 シドニーパラリンピック(オーストラリア) 柔道 5位入賞
◆ 2021年7月の東京パラリンピック 円盤投げ出場を目指し、2000年11月の国内大会で視覚障害F11級で28m18の日本新記録を出すも、出場資格の世界第4位以内を満たさず断念、再び2024年のパリ・パラリンピックを目指し今日に至る。
稲葉さんは、生活情報交換会には講師として3度目の登場です。
■ 一回目:平成30年1月19日 生活情報交換会の100回目記念に登場「今がいいと過去がいい、きっと未来もいい」と題して、東京オリンピックへ挑戦の意気込みを語りました。
■ 第二回目:124回目 題名「人生をかけた4つの夢」で講演しました。
稲葉さんは3回目の今日も、25年前の30歳頃、突然に目が見えなくなった時からの経験談から話始めました。
当初は人に会うのが怖くて心が折れたこと、しかし3人の子供に励まされコツコツと努力、ゆっくりと時間をかけて人とも交わって目の前が開け始めた。
努力の結果、1999年 アジア柔道選手権大会で3位(銅メダル)、2000年シドニーパラリンピック柔道で5位入賞、その後2006年まで国内の柔道大会に参戦し優勝の栄誉に輝いたが2006年に現役を一旦引退し、仕事(マッサージ師)に没頭した。
しかし、2013年、8年後の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定し、もう一回54歳での「円盤投げ」で出場を決意、特訓を重ねて2020年11月の国内大会で28m18 視覚障害F11級の日本記録を更新し、東京パラリンピック出場の夢をつなぎました。
しかし残念ながら、出場資格の世界第4位以内に届かず、国内第一位とは言え世界では第10位で出場はならなかった。
これを最後にやめようと思ったが、周りの人達からの元気づけで踏みとどまった。
そうして稲葉さんは、2024年のパリ・パラリンピック出場を目指すと共に、生涯をかけた次の3つの目標を立て再び挑戦を始めたという。
■ 健常者と障がい者が分け隔てなくスポーツを楽しむための懸け橋になる。
■ 健常者と共に競えるマスターズ陸上に挑み続けること。
■ 円盤投げでは、健常者でも105歳以上の記録がなく、初の樹立を目指す。
稲葉さんは講演の最後に、目が見えなくなっても実に楽しい、幸せだ。目をくれると言われてもいらない。生き甲斐を発見した! 社会貢献をしたい! あと50年頑張ると言い、今日の講演を締め括りました。
稲葉さん、今日はお疲れ様。
稲葉さんに負けないように私たちも頑張ります。
いつまでも、ご壮健を祈念しております。