こんなにスマホに頼ることが良いのか。

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

パソコンやスマホの普及で「知識」が重要視されなくなった。

 

先日も若い人たちに混ざってワークショップに参加しましたが、記録係の若者がスマホを片手に、言葉の意味や思い出せない漢字を瞬時にインターネットを開いて見て、模造紙に平然と書いていました。

 

ワークショップでは、その場で参加者がスマホで友達になり、口と並行して交信が始まりました。

 

分からないことは瞬時にスマホで検索し、その場で答えを出し行動することは、当たり前の世の中になりました。

 

勿論、検索した答えの良し悪しの判断能力は必要ですが、普通のことは何でも教えてくれます。

 

スケジュール管理、メモ取り、目覚まし、予約、決済などなど何でもスマホ一つあればできるしそれに頼る。

 

本当にこんなにスマホに頼ることがいいのだろうか。

 

確かに最近、辞典を引くことがなくなりました。

 

そう言えば、自筆で手紙を書くことも非常に減りました。

 

お蔭で、言葉も字もすっかり思い出せなくなり、思い出すためにスマホを開いている始末です。

 

スマホやパソコンで綴った文章を後から読み返すと、言葉の使い方の間違い、文字の間違いが多く思わず赤面する。

 

スマホ・パソコンは間違いないという過信や思い込みがそうさせています。

 

人から送られてくるメールの言葉や文字の間違いの多いことに気付くが、自分が送った文章の間違いも恐らく多いはずだ。

 

人間の頭の中は、これまでは知識で詰まっていましたが、これからの人間の頭は応用とか予見とか知識の先にあるものになって行くのだろうか。

 

知識力で優劣をつけられない時代になった。

 

知識の世界は、ロボットやAIに置き換わって行くのだろうか。

 

先見力、予見力、応用力などが要求される時代であるが、これからますます重要視される世の中が来るのではないか。

 

詰め込み式の教育は大きく変わらざるを得ない。