判断基準は、市民・国民が幸せになるかどうか。

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

不遇な死を遂げた「安倍元首相の通夜・葬儀」に、一般の国民が寺院の外や沿道まで溢れている光景を見て、国民は良く見ているな、と強く感じました。

 

宰相たるもの、国民のためになると思ったことは、例え反対があっても説得し、果敢に勇気を出して成し遂げる姿を見て、素直にそれを感じ取って、国民の多くは昨日のような行動に出たのではないかと思う。

 

筆者は、会社を二分するような岐路に遭遇した経験はありませんが、若い現役の頃、労働組合の役員に推挙された時、直属の上長からこれから判断に迷うことが出てくると思うが、「会社ではなく、従業員が幸せになるかどうか」を判断基準にして頑張りなさい、と激励されました。

 

非常に難しい判断を要する時、この言葉を思い出し、決断したことを思い出します。

 

安倍元首相は、国を二分するような決断を何回かして来ましたが、「国民のためになるかどうか」が判断基準だったという。

 

葬儀の際の妻、昭恵さんの言葉「主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱいまいているのでそれが芽を吹くことでしょう」と締めくくったと言うが、国民のために果敢に頑張った夫に対する相応しい言葉でした。

 

会社でも地域社会でも同じと思いますが、会社のため、従業員のため、地域住民のためになるかどうかが、本当の判断の基準であるが、これが実にうまく行かない。

 

本物の判断ができないで、自己やグループの保身に動く人が多く、それに気が付いていないことがやっかいです。

 

実は本物の判断は、自由にものが言える、風通しが良い環境から生まれると思うが、その環境づくりが大事だと思う。

 

長く会社生活を送り、地域社会で市民活動団体や自治会活動を通じて、いろいろな場面に遭遇してきましたが、若者の支援に回って真から市民や住民が幸せになるための仕事に取り組んで見たい。