「ブラタモリ・大井川」を見てその功罪を考える

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

昨日のブログで、NHKテレビで放映された「ブラタモリが大井川にやって来た」を紹介しましたが、番組では「大井川は何を生んだのか、何をもたらしたのか、疑問を呈していましたが、結論は出さずに大井川の功罪は視聴者の判断に任せるような形で終了していました。

 

番組は、タモリに大井川のあちこちの史跡や地形を歩かせて、嘗て大井川がもたらして来た恩恵や災害の歴史を紹介しました。

 

 ■ 徳川幕府から大井川に橋を掛けるのを禁じられ、人々は川越人足の肩に担いでもらうか、連台に乗って川を渡り、大雨の時は川止めとなり島田宿は賑わいました。

 ■ プレートの隆起によりできた南アルプス、3,000m級の山々に降る雨の量は日本の平均降雨量の約2倍で、大井川の中下流域は洪水の歴史でした。

 ■ 大井川が隆起してできた牧之原台地は、稲作には向かなかったが温暖で水はけが良くお茶の栽培に適していたことから一大茶畑として成長を遂げました。

 

番組では触れられませんでしたが、

 

 ■ 大井川の特長である急流と豊富な水量を利用して、多くのダムと発電所が作られ、大井川は電源開発のメッカとなり、大都会への電気の供給源となりました。

 ■ その結果大井川の水の90%は、山の中のトンネルを経由してダムから発電所発電所からダムへと流れ、大井川の中下流域は石ころばかりの「河原砂漠化」して今日に至っています。

 ■ 昔は洪水で大量の土砂が海に運ばれ、漁場を潤し海岸の浸食を防ぎましたが、今は全く逆で土砂はダムに溜まり、ダムの崩壊を防ぐため浚渫が必要になっています。

 ■ 大井川の表面には水は僅かしか見れませんが、実は大井川がもたらした広大な扇状地の下には、広大な地下湖が広がりその水の量は極めて安定的で、中下流域に誘致した企業を潤しています。

 ■ 嘗ては島田市の各地で地下水が自噴し、今でも藤枝市焼津市大井川町)・吉田町で自噴が見られ市民の憩いの場所となっています。

 ■ 下流域では地下水を汲み上げて水道水としている自治もあり、水質も優れ余分な薬剤を必要とせず、安価な水道水が提供されています。

 

島田市と言えば「大井川」よって島田市の総合計画や環境基本計画には、目指す姿として「大井川が育むみどり豊かな自然・・・」と書かれていますが、市民の本当の気持ちはどうだろうか。

 

大井川に水が流れ、子供たちが元気よく泳ぎ、住民の殆どの家に地下水汲み上げ用の井戸があった時代は、人々は本当に大井川の恵みを肌で感じていましたが、今は遠い昔のことです。

 

今、大井川には水は殆んど流れていませんが、この何百年・何十年変わらず安定的な地下水を使って、せめて子供たちが夏場安心して遊べる水場を市内のど真ん中につくり、市民が大井川の恩恵に浸る環境を提供したらどうだろう、と筆者はいつも思う。

 

特に幼児は水たまりが好きだ。そこに木陰と大人の水汲み場(コーヒーやウイスキーを併設していつでも自由に無料で良質な地下水が汲めれば最高だ。

 

こうした目に見え、肌で感じる大井川の恵みを市民に提供することによって、計画に書いてある大井川の恩恵を理解できるし、島田市の住民が心から大井川に親しみを持つ様に変わって行くのではないかと思います。

 

なぜこんな提案をするかと言うと、地下水は大事ですが、扇状地の上にある住民や企業が地下水を利用して水道や井戸で使っても、定点観測結果は地下水は減らずに安定しているということです。

 

島田市の住民は、子供たちが喜ぶ少しだけの地下水利用は許されるのではないでしょうか。