「生活情報交換会8月例会(第152回)」へ出席

NPO法人 しまだ環境ひろば 「事務局」 です。

 

今日(8月18日 金 am)は、「生活情報交換会 8月例会」に出席しました。

 

 ※ 生活情報交換会とは、某企業を定年退職した同期クラスの数名が、第二の人生を有意義に過ごそうと、お互いが入手した情報を交換したり、たまには有識者の良い話を聴こう(講演会等)と平成22年(2010年)に立ち上げた会です。

 

静岡市アイセル21(婦人会館)を拠点として、原則として毎月第三金曜日に講演会を開催しています。

 

去る6月は150回目の記念会となり「150回記念誌」も発行し、次の200回に向けて再スタートを切ったばかりです。

 

今日の講演会の題目は「安倍川物語」で、講師は昭和設計株式会社社員の、坂詰氏・望月氏・大畑氏のお三方でした。

 

  昭和設計株式会社のプロフィル:創業は昭和25年、設立は昭和28年、業種は建設コンサルタント主な業務は土地の調査・測量、道路・橋・公園などの設計、現在従業員数は117名(技術86名・事務31名)、受注先は95%が官公庁物件とのこと。

 

歴史絵本「安倍川物語」を作るきっかけは、昭和設計さんが静岡市葵区安東地区から安西地区に移転した時、社員が安西地区なのになぜ安倍川の東に位置するのかに疑問を持った時だという。

 

同社の業務で使っているデータや技術を応用して、昔は安倍川はどこを流れていたかを解析した結果を「安倍川物語」という歴史絵本にまとめたという。

 

冒頭、講師の坂詰氏から同社のプロフィルの紹介に続いて、絵本「安倍川物語」を6月3日の測量の日にちなんで発表し、新聞で大きく取り上げられたことが紹介された。

 

  絵本「安倍川物語」はページを開くと、右頁に「物語」、左頁に「技術解説」が載っており、物語を進め乍ら技術の裏付けが掲載され、「なぜ=理由」や「どうして」が分かり易く解説されている。

 

「物語」は、普通のお母さんと娘の「シズちゃん」と、歴史上の人物徳川家康の幼少時のタケチヨこと「タケくん」と、昭和設計の技師「コウスケさん」の4人を登場させて、シズちゃんの質問やタケくんの記憶、コウスケさんからの技術解説を絡めて物語を進めて行っている。実に分かり易い。

 

安倍川は昔どこを流れていたか?

 

ここから講師は望月氏にバトンタッチ、先ずは「文化・歴史」を紐解いて、「安倍川に関する地名」「神社からみた安倍川の流れ」からの推察を試みたという。

 

地名からは、安倍川は賤機山の西側から現在の静岡市の中心部を流れていたのではないか。また「籠上」や「下島」は現在の安倍川から離れた位置にあるが、かつての安倍川はこの近くを流れていたのではないかと推察されるとのこと。

 

次に「地理」の分野から「治水地形分類図」を紐解いて推察して見たが、そんなに簡単なものじゃないことが分かった。

 

そこで昭和設計さんが持っている技術「水文解析」、パソコン上で水を流してどう水の流れができるかを解析すると、どうやら安倍川は安西地区と安東地区の間をながれていたのではないかと推察できた。

 

次に講師は大畑氏に代わり、「地質」からの解析を試みるため昭和設計さんが持っている技術「ボーリング調査」を駆使して土を観察、土の固さを見て一番固い点を結んで旧安倍川の河道跡を推測したという。

 

その結果、一つは井宮あたりから安西に向い、もう一つは安西四丁目あたりから真っすぐ本通りに向い、やっぱり昔は今の街中を流れていたことが推察できたという。

 

昭和設計さんが持っているいくつかの解析結果で、以前の安倍川は現在よりも東側、つまり安東地区と安西地区の間に流れていたと思われる。

 

昭和設計さんの社員が、安西地区なのになぜ安倍川の東にあるのかの疑問が一応解けた

訳である。

 

坂詰氏は、今回紹介した昔の安倍川の位置は正解ではないかも知れませんが、それでも地元の歴史や土地をもっと知りたくなるきっかけになってくれたらうれしい、と講演を締めました。

 

坂詰さん、望月さん、大畑さん、今日はお疲れ様でした。

 

建設コンサルタント会社の仕事や技術、安倍川を介した静岡市の地理・地形も良く分かりました。

 

ありがとうございました。貴社の益々の発展と繁栄を祈っています。